ゆとりちよだNEWS

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N様からのご投稿 2017/08/14

会員様からのご投稿 8月号

ゆとりちよだNEWS No.149

関東地方ははるか昔に梅雨が明けたとゆうのにハッキリしない日がつづきます。ほとんど曇り空。たまに日が差しても長くはつづきません。カッと大地を照らす太陽はいったいどこへいったんだ。週間天気予報を見ても曇りマークばかり。おかげで梅雨の間漬けていた梅干しを干すことができません。このままだと秋の好天を待つしかないのか。と嘆いておりましたらゆとりちよだ149号が届きましたよ。さぁて、今月号には曇り空を吹き飛ばすようなたのしい情報が載っておるんでありましょうか。

まずご紹介するのは、上野の東京国立博物館 平成館で開催される興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」であります。興福寺の本堂というべき中金堂は平安時代以降今までに七たび焼失と再建を繰り返してきました。焼失で有名なのは源平争乱における平重衡による焼き討ちでしょう。最も新しい再建は文政2年(1819年)にできた仮堂ですが、老朽化が進んだため新たに再建することとなりました。その再建を記念して今回、特別展「運慶」開催の運びとなったワケであります。私たちはすでに、2009年の「国宝 阿修羅展」(東京国立博物館 平成館)、2013年の「国宝 興福寺仏頭展」(東京藝術大学大学美術館)で興福寺の秘仏たちを拝観しています。が、このたび、イタリアルネサンス期のミケランジェロに比肩すべき天才彫刻家(仏師)・運慶(1150年?~1224年)の作品(仏像)がいよいよ東京にやってくるのです。これは必見でしょう。運慶の生きた時代。それは、平氏の栄華が終わり、鎌倉に幕府を開いた源氏の世となるころ。宗教界では末法の世とされ、法然、親鸞らの改革派の僧侶が出現、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽にゆけると説きます。民衆が求める、苦しい時代を生き抜くための新しい宗教の誕生でした。では、信仰の対象である仏像にどんな姿かたちが求められたのか。すがりつきたくなるような生き生きとした仏、力強いエネルギーに満ち溢れた仏像だったのでしょう(たぶん)。運慶は時代の要請を敏感に察知。内から力が湧いてくる、現実に功徳を与えてくれるような仏像の造形に挑戦し、そこに本当に仏が居るような写実的な肉体表現を志します。今回展示される、国宝・八大童子立像のうち恵光童子(えこうどうじ)、制多伽童子(せいたかどうじ)、そして国宝・無著菩薩立像(むちゃくぼさつりゅうぞう)、世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう)なんて、表情が素晴らしいですね。写実性を追求した結果、玉眼とよばれる水晶の板に色を着けた眼を効果的に使用して豊かな表情を創出しています。恵光童子の憤怒の表情、制多伽童子の凛とした顔だち、無著菩薩の穏やかで慈愛に満ちた眼差し、世親菩薩のどっしりした体躯と相貌。運慶と「慶派」。「鎌倉レアリズム」とよばれる運慶に連なる仏師たちの制作した血の通う迫真的な仏像群はこの秋イチバンのおすすめです。さあ秋風が吹いたら上野のお山に上りましょう。

明から清への動乱期の中国、ヨーロッパ諸国へ輸出されていた中国の焼き物の産地・景徳鎮などの色絵磁器は輸出がストップしてしまいました。その間隙をぬって登場したのが九州佐賀の有田で生産された有田焼です。輸出港・伊万里の名をとって伊万里焼と呼ばれる、景徳鎮に劣らない磁器製品は波濤万里のかなた、ヨーロッパの王侯貴族の元へ届けられます。割れないよう紙で包まれ木箱に収納された磁器。その梱包材料となった紙には廉価な浮世絵が使用されたんであります(!)。この浮世絵を「発見」したフランスの画家たちに決定的な影響を与えたのが19世紀中葉のパリ万国博覧会を契機に正式に輸出されることになった北斎、英泉、広重らが描く浮世絵の数々。マネ、モネ、ドガ、ルノアールたち後に印象派と呼ばれる画家たちに並んでファン・ゴッホも大きな影響を受けた一人です。その「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が上野の東京都美術館で開催されます。第1部では「ファン・ゴッホのジャポニスム」と題して、ファン・ゴッホに与えた浮世絵の影響、構図や色彩などの表現様式、ユートピアとしてファン・ゴッホがみていた日本のイメージなどさまざまな角度から検証するそうです。たとえば今回展示される英泉の花魁図を模写したファン・ゴッホの「花魁」。「花魁」の周囲には虎清の「芸者と富士」、二代芳丸の「新板虫尽」から模写したとおもわれる鶴、二人が乗った舟、ヒキガエルを描いています。第2部は「日本人のファン・ゴッホ巡礼」。今展の目玉である(に違いない)パリのギメ東洋美術館所蔵の「芳名録」が日本初公開されますよ。生前ほとんど売れなかった作品の多くはファン・ゴッホの最期を看取ったオーヴェールのガシェ医師の息子の手元に残されました。ファン・ゴッホの生涯と作品に魅せられ憧れた多くの日本人美術家、批評家、文学者たちはオーヴェールを巡礼の地と定め、大正から昭和初期にかけてかの地を訪れることになります。ガシェ家には来訪したその日本人たちの芳名録が三冊(!)残され、今回公開される運びとなりました。さて、どんな人が名を記してるんでしょうか・・・おお!佐伯祐三、前田寛治、高田博厚と錚々たる顔ぶれですね。小野竹喬、土田麦僊、橋本関雪ら、のちに京都画壇の重鎮となる日本画家たちの名もみえます。さらに、ファン・ゴッホの芸術と生涯を世に広めるのに多大な功績を残した的場隆三郎と、彼に影響を与えた斎藤茂吉の署名もあるそうです。墨書、和綴じの芳名録三冊。遠い遠い国であったフランスはオーヴェールにたどり着いて記帳した日本人たち。その行為におもいを巡らせ、さあて、秋が深まったら上野のお山に上りましょうか。

今月号も話題満載のゆとりちよだでありました。アキバのみなさまには・・・アキバのクーリエ・秋山さんがお持ちになりました。おタノシミに。