ゆとりちよだNEWS

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N様からのご投稿 2017/09/15

会員様からのご投稿 9月号

ゆとりちよだNEWS No.150

重陽の節句を過ぎても秋らしい爽やかな日々がやってきません。前にも書いたことがありますが、秋の長雨に濡れていると、清末の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の辞世の句が思い出されます。秋風秋雨愁殺人。秋風秋雨(しゅうふうしゅうう)人ヲ愁殺(しゅうさつ)ス。秋瑾女史ほどの気概を持たぬ私ですが、しとしと降る雨には鬱々とした気分になってしまいます。早く突き抜けるような秋天になってほしい。と、空を眺めていましたら、ゆとりちよだ150号が届きましたよ。さぁて、暗い雨空を吹き飛ばすような情報は載っておるんでありましょうか。

1995年1月の阪神淡路大震災を契機に、陸上のみに頼らないで河川を利用する物資輸送が東京都によって検討されることになりました。その拠点となるのが防災船着場です。イザとゆうときに東京港湾岸と多摩川、江戸川、荒川、隅田川、その支流・運河を航行して物資を運ぼうとゆうワケです。そして、千代田区には防災船着場が現在、和泉橋、新三崎橋、千代田区役所の3ヵ所にあります。で、これらを結んで水上からの眺めを楽しんでみようとゆとりちよだが企画してくれました。「神田川・日本橋川クルーズ」とランチであります。まず、オタクの聖地・アキバの南にある和泉橋防災船着場を出発、神田川を遡上しましょう。「おたぬきさま」で知られる柳森神社を左に見て万世橋(まんせいばし)、昌平橋(しょうへいばし)をくぐり抜けるとコンクリート造りのアーチ橋・聖橋(ひじりばし)が見えてきます。右岸の孔子を祀る湯島聖堂と左岸のロシア正教のニコライ堂を結ぶので「聖」の名がついたこの橋は関東大震災後に架けられた比較的新しい橋です。お茶の水渓谷と呼ばれる谷底から見ると巨大ですね(まだ見てないけど)。左岸ではJR「御茶ノ水」駅の拡幅工事中。これが完成するとホームからエレベータで改札口までゆけるのでかなり便利になることでしょう。右手に東京ドームが見えるようになったら左手の三崎橋をくぐって日本橋川に入ります。この川は上を首都高速5号池袋線が走っており、眺めがあまりよくないですな。ま、さらにゆきましょう。明の使節を接待するために飼った雉小屋からその名が付いたとゆう雉子橋をくぐると頭上は高速都心環状線になります。現在修復中の常盤橋をかすめるといよいよ日本橋です。1964年の東京オリンピックで橋上に現在の高速道路ができ多くの人たちを失望させましたが、最近、日本橋に空を取り戻そうとゆう動きがあるようですね。私自身、頭上に高速道路のない日本橋を体験したことがないので、「昭和の広重」川瀬巴水(かわせはすい)が描いた日本橋が蘇ればこんなうれしいことはありません。さて、日本橋をあとにしたら隅田川に合流しましょう。右に永代橋を眺め、隅田川を遡上。両国橋をくぐったら神田川に入り終点の和泉橋防災船着場に到着です。では、つくばエクスプレス秋葉原駅に直結するターミナルビル・アキバトリム内のレストラン「響」で生ビールを飲みながらランチをいただきましょうか。みなさま、おつかれさまでした。

鹿鳴館、旧古河虎之助邸(古河庭園)などの設計で知られる英国人建築家・ジョサイア・コンドル。彼が設計し1894年に完成した赤煉瓦造りの三菱一号館は老朽化のため1968年解体されました。が、それから40数年。2010年に三菱一号館美術館として生まれ変わりました。この、建物を観るだけでも価値のある三菱一号館美術館(JR東京)で「パリ♡グラフィックーロートレックとアートになった版画・ポスター展」が開催されます。19世紀末パリの歓楽街・モンマルトル。多くの居酒屋、劇場、キャバレー、ダンスホール、娼館が建ち並ぶこの界隈に生きる人たちを克明に描いた画家がいました。そう、貴族の家に生まれながら紅灯の巷でアプサンをあおって絵筆を執ったトゥールーズ=ロートレックです。描くは音楽家、歌手、踊り子、役者、娼婦等々。あるときは優しく、あるときは辛辣に描く彼の人物画はその内面までが読み取れるようです。一方、彼は多くの商業ポスターを描いてもいました。ダンスホール「ムーランルージュ」、キャバレー「アンバサダール」、カフェコンセール「ディバン・ジャポネ」のポスターは一度はみなさまもご覧になったことがおありでしょう。ポスターを芸術の域にまで高めたロートレック。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館から「アートになった」彼の作品がこの秋大挙して丸内にやってきますよ。これはゆかなくっちゃ。

上野の国立科学博物館では古代アンデス文明展が開催されます。アフリカ東部の大地溝帯を出発した人類の祖先はヨーロッパからアジア、そしてベーリング海峡を渡り、北アメリカを経て南アメリカに至るグレートジャーニーと呼ばれる大移動をしました。その、人類が最終的にアンデス地域に到達した先史時代から16世紀に168人のスペイン人によってインカ帝国が滅ぼされるまでの15000年間に多種多様な文化が盛衰を繰り返します。今展では、ナスカ、シカン、インカなど9つの文化を通して、インカ道とよばれる全国に張り巡らされた道路網、壮大な建造物の石造建築技術、黄金製の神像にみられる金属加工技術などのハードウェアに迫ります。また、文字を持たなかったアンデスの人々の思想や宗教観をミイラ、石像、織物などによって解き明かしてゆくそうです。車輪も鉄器も持たなかったアンデスの人々がなぜ高度な文明を維持することができたのか。その謎を探りに今年の秋冬は上野のお山に籠りましょうか。

今月も魅力満載ゆとりちよだ150号でした。アキバのみなさまには・・・神田のエスコフィエ・天澤さんがお持ちしました。おタノシミに。